アニメやマンガで文法や会話文を覚えることができたらいいと思いませんか?
今回は、ゲド戦記のスクリプトの一部を使って文法を勉強してみようと思います。
少し前に金曜ロードショーでも放送していたのでそれを見た方もいるかもしれませんね。
#ゲド戦記
— アンク@金曜ロードショー公式 (@kinro_ntv) April 9, 2021
ご覧いただきありがとうございました😌#金曜ロードショー pic.twitter.com/atwK3D2yIk
目次[非表示]
今回使用したスクリプト
ゲド戦記(特別収録版)
北京語字幕
スクリプトを使って勉強
子供の奴隷
シーン
アレンとハイタカがポートタウンにやってきた場面です。
街の入り口付近に鎖に結ばれた子供たちがたくさんいます。
スクリプト
雀鹰 :是奴隶
在这里。人也是商品。
亚刃 :人怎么可以成为商品…
商人 :那么,金币2枚
金币2枚有人要买吗?
解説
アレンは、彼らは罪人かと聞きます。「罪犯」は罪人の意味ですね。
それに対してハイタカは奴隷だといいます。この街では人も商品になっているのでした。
「怎么可以~」は、~なんてあり得るだろうか?という表現です。「成为~」は、~になる。という意味ですね。
アレンが驚く中、商人の声が響きます。
「有人」は、誰か、ある人などを意味し、「要买」は買いたい、という意味、最後に疑問を表す「吗」が付いて、「金幣2枚、誰か買いたいか?」という感じですね。
賑やかな街
シーン
足を進めると出店が並びとても賑やかなところに出てきます。
街の様子を見て、アレンはハイタカに質問します。
スクリプト
雀鹰 :不是。这里一年到头都是这样
解説
「~还是~」は、選択疑問文でAかBを訪ねる文章です。
ここでは、前に「今天是」、後ろに「吗」がついて、「今日は『庙会』か『节日』なのか?」と、いう通常の疑問文になっています。「庙会」は縁日、「节日」は祝日や記念日のことです。
ハイタカが答えた「一年到头」は一年中という言い方で、「到头」は最後まで到達するという意味があります。「都是~」は全部という意味ですが、否定文の場合は、「不都是~」で部分否定、「都不是~」で全否定、と否定の範囲が変わるので注意してくださいね。
出店にて1
シーン
さて、ハイタカはその出店の1つを訪れます。
スクリプト
这个怎么样
是洛拔端岛的丝绸
柔得有如蜻蜓翅膀。很棒吧
雀鹰 :不用了,我没有老婆
解説
まじない師のおばさんが営業をしてきました。
「想要些什么呢」の中の「些」(一些)は、いくつかの、少しの、という不定の数を表します。この少しを表す表現は、「一下」「一点儿」「一会儿」がありますが、表すところや用法が少しづつ違います。
一点儿・・・量として少し(数えられないもの)
一下・・・・動作回数として少し
一会儿・・・時間として少し
「是~的」構文は、~の中身が強調されています。
「是洛拔端岛的丝绸」という文では、”洛拔端岛で作られた”シルクということが強調されていますね。
「柔得」の部分は程度補語が使われています。柔らかさの程度が「有如蜻蜓翅膀」ということですね。「有如~」は、まるで~のようである、という意味です。「好像~」と同じですね。「蜻蜓」はトンボ、「翅膀」は羽、ということで、店主は、「トンボの羽のように柔らかいなんてすごいでしょ!」と営業している、ということですね。日本語ではカゲロウの羽となっていて、表現が少し違いますね。
「老婆」は奥さんのことですね。一方「老公」は旦那さんです。奥さんは「愛人」ともいいますね。同じ漢字を使っていても日本語とはかなり印象が違いますね。「妻」も中国語で奥さんと意味します。ただ、これ一文字だけで使用することはありません。ハイタカは、「奥さんがいないので必要ない」とお断りしています。
出店にて2
シーン
ハイタカはこのお店に何を買いに来たのでしょう。別に冷やかしに来ていたわけではありません。
スクリプト
女老板:魔法师没缘分成家是吗
亚刃 :我不需要那个
雀鹰 :你不能老是穿这样吧
腰上那东西也最好藏起来
解説
「斗篷」はマントの意味です。ハイタカは、アレンにマントを宛がうつもりだったのですね。
「缘分」は縁やゆかり、関係など、「成家」は世帯を持つことです。最後の「是吗」は付加疑問の形で「でしょ?」といった感じでしょうか。女店主は先ほどの「老婆」がいないことを受けて「魔法使いには縁なんてないだろうね」と言っているわけですね。
アレンは、わざわざ買ってくれることはない、と一度は断りますが、ハイタカに諭されてしまいます。
「老是」は、いつでも、しょっちゅう、といった副詞です。
「腰上东西」は腰の物、ハイタカは暗にアレンの腰に下げた剣のことを言っていますね。そして「最好~」は、~した方が良い、という意味です。
また、隠すという意味の「藏」に方向補語の「起来」が付いています。これは、表に出ている状態から隠れるという状態への変化を表しています。これで「腰の物も隠した方が良い」となります。
ちなみに、チベットのことを「西藏」といいます。これは、「藏」は仏教の経典を表すことと関係がありそうです。
出店にて3
シーン
さて、この後、女店主は産地を偽ったマント生地を売ろうとしますが、糸の紬方からハイタカに見破られてしまいます。ハイタカは、女店主に苦言を呈します。
スクリプト
怎么会卖这种无趣的东西呢
女店主:现在已经没有人相信巫术了
虽然这边卖的几乎都是假货
但是商品就是商品,会让人相信
那像魔法和巫术
这和没有形体的东西
是完全不一样的
解説
「身为~」は「作为~」と同じで〔~と見なす〕、という意味です。「身为」は人に対して使用しますが、「作为」は人以外でも使用できます。〔まじない師のあなたとして〕という内容になります。
「怎么会~」は、〔どうして~ということがあろうか〕、という意味です。ハイタカは、『まじない師のようなあなたが、何でこのようなつまらない物を売っているのだ』と訝しんでいるのですね。
それに対して女主人は、『今じゃ誰も魔術なんて信じちゃいないよ』と答えています。
「没有人~」誰もいない人が~する→誰も~する人はいない、という表現方法です。英語でも"No one believes ~"のような言い方があります。良く似ていますね。異なる言語にこうした類似性があるのはとても面白いですね。
「虽然~A,但是~B」は、〔~Aではあるが、~Bだ〕、という構文です。「几乎~」は〔ほとんど~〕、「假货」は〔偽物〕なので、前半は、『ここで売っているものはほとんど全部が偽物だけれど』、となります。
後半は「但是~」を入れて『でも商品は商品さ』、となります。「让人~」は使役構文の形を取り、〔人に~させる〕という意味になり、「相信」は〔信じる〕という意味なので〔人に信じさせる〕となります。この文頭の「会」の主語は「这边卖的」です。少し離れていますが、文章を読んで慣れておくといいかもしれません。
「像~」は、〔~みたいな〕という表現です。「没有形体的东西」は、これで”名詞のかたまり”になっています。女店主は、『人が信じることができる商品と魔法や魔術のように形のない物とは、まってく違うものだ』ということを主張していますね。
ハジアを売る男1
シーン
さて、無事どこかでマントを手に入れたハイタカとアレンは、街の少し小高く静かな場所に移っていきます。と、そこへ怪しげな男がアレンに近づいてきました。
スクリプト
放开我!
男人 :年轻人,冷静一点
要来一颗吗
来一颗会让你感到很舒服喔
亚刃 :这是什么?
男人 :是迷魂丸,迷・魂・丸
只要一颗
就可以让你忘掉这世间的烦恼
亚刃 :忘了这世间的
男人 :没错,痛苦和不安
忘了一切,会变得很辛福喔
我不收你钱,你试试看
解説
中国語の「做~」は〔~する〕という意味で、名詞と組み合わせることで、かなり応用の効く動詞です。「放开我!」〔離せ!〕もドラマなどではよく聞きますね。
「年轻人」は〔若者〕、「冷静」は、〔落ち着く〕ですね。
「颗」は、薬など粒上の物を数える単位です。
「要来」は〔来て〕という意味ですが、ここでは、続く「一颗」から『一粒いかが』という意味になります。「要来一颗试试」などと使うと良いですね。
「来~A会~B」は、「来~A就~B」などと良く似た使い方で、〔~Aしたら~Bだ〕という因果関係を表しています。「感到」は「觉得」などと同じく〔感じる、思う〕といった意味。語尾に語気助詞「喔」が使われています。
ハジアは「迷魂丸」と訳されていました。
「只要~A,就~B」〔~Aすれば~B〕の構文が使われています。「你可以忘掉」ではなく「可以让你忘掉」と使役構文が使われていますね。ハジアが忘れさせてれるということですね。この「忘掉」は、〔忘れる+無くなる〕と動詞+補語の構造になっています。
「没错」は、〔その通り〕の意味。この後に続く「痛苦和不安」が、後半の「会变得很辛福喔」の主語に当たります。
「我不收你钱」の部分は、「你」が間接目的語、「钱」が直接目的語で二重目的語になっています。「你」が「钱」を修飾している訳ではないので読み取りに注意してくださいね。
ちなみに、〔あなたのお金〕を表したい時には「你的钱」の様に所有を表す「的」が間に入る必要があります。一方で「我妈妈」、「我们公司」など家族や所属機関の場合は「的」を省略することが出来ます。
ハジアを売る男2
シーン
そこに、ハイタカが表れて間に割って入ります。
スクリプト
男人 :不,没事
先生啊,你要不要也试试
魔法师先生,你也有烦恼吧
雀鹰 :很抱歉
我们不打算依赖这些东西
解説
「找」は〔探す、尋ねる〕という意味です。〔お釣りを返す〕という意味もありますね。
「你找我的同伴有什么事」の文章は連動文になっています。『連れを訪ねる』と『何か用がある』が時系列的に連続して起こっている時に使う構文です。疑問詞を使っているので『私の連れを訪ねて何の用だ?』となります。
怪しい男は『大したことではない』と答え、ハイタカに”ハジア”を勧めてきます。「要不要」は選択疑問文、「试试」は重ね型になっていますね。「要不要」は選択疑問文の形になっていますが『必要でしょう?』と確認を取るニュアンスがあります。「试试」は、『ちょっと試す』のようなニュアンスがあります。
それに対して、ハイタカは「不打算依赖这些东西」と断るのでした。
「依赖」は〔頼る〕という意味です。
まとめ
さて、ここまでスクリプトを解説してきましたが如何だったでしょうか。
日常会話文とは多少異なりますが、ストーリーを知っている方であれば内容を理解しやすかったのではないでしょうか。
ところで、スクリプトの文字起こしをして気がついたことがあります。
言っていることそのものは同じ内容なのですが、スクリプトと音声がかなり違います。音声の方が自然な文章なのでしょうか?機会があれば、比較などもしてみたいと思います。
それでは、拜拜!
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